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Biography 1990年代
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1990
Out Of Time 制作開始
1989年を丸ごとツアーに費やしたR.E.M.は、1990年の始めは一旦活動を休止し、課外活動を始めた。 まず1つは、1984年頃に結成されていたバンドHindu Love Godsの活動再開である。 1984年当時は、Bryan Cookがヴォーカルを担当していたが、今回はBryan Cookは参加しておらず、Warren Zevonがヴォーカルを担当した。 Rovert Johnsonの Walking Blues や、Willie Dixonの Wang Dang Doodle など、数々のブルースナンバーのカバーに混じり、Princeの Raspberry Beret もブルースにアレンジされ、レコーディングされた。 Hindu Love Gods とバンド名と同じ名前のアルバムが作られ、バンドのファーストアルバムとしてリリースされたが、ライブやツアーは行わず、あくまで作品制作としての活動となった。 Hindu Love Godsはその後再び活動休止状態になり、2003年にWarren Zevonが他界したため、永久に復活することは無くなった。
Peter Buckは相変わらず課外活動も精力的に活動しており、 Green World Tour の前座にも参加していたDrivin' n' Cryin'のメンバーKevin KinneyやNikki Suddenと共にツアーを展開した他、Concrete Blondeのアルバムでマンドリンを演奏、Indigo Girlsの2ndアルバム Nomad*Indians*Saints ではダルシマーを演奏した 。 Michael Stipeは、地元AthensのバンドChickasaw Mudd Puppiesのデビューミニアルバム White Dirt をプロデュースした他、Vic Chestnuttのアルバム Little をJohn Keaneと共にプロデュースした。
そんな活動の中、2本目となるビデオ作品 Pop Screen がリリースされる。 Pop Screen には Document 〜 Green までのビデオクリップと、 Eponymous の頃に作られた Talk About The Passion のビデオクリップが収録された。
そうしてバラバラに活動をしながらも、R.E.M.は次のアルバム制作へ向けての活動を早くも開始する。 まずは、7月〜8月にかけて、AthensのJohn Keane Studioにてデモセッションが開始された。 前作 Green の当初の計画でもあった、「全編アコースティック」というスタイルを、本作では実行に向けて進められた。 このセッションでは、アルバムに収録されるものよりも多くの曲が作られ、幾つかの曲は完全にボツになったものの、その多くはシングルのB面や、その次のアルバム Automatic For The People からのシングルB面でリリースされた。 デモセッションが終ると、そのまま9月には前作と同じく、ニューヨーク州のWoodstockにあるBearsville Studioで本格的なレコーディングが始まった。 9月一杯をBearsville Studioでレコーディングやミックスに費やし、作品はほぼ完成していたが、10月には再びAthensのJohn Keanes Studioで追加分のレコーディングやオーバーダブ作業に入り、一時的にAtlantaのSoundscape Studiosでもレコーディングを行っている。 そして、11月にはミネソタ州MinneapolisにあるPaisley Park Studioにて、最終のミキシングを行い、作品を完成させている。
これまでのR.E.M.の作品の中では、最もスタジオに入った時間が長く、約半年間に渡ってアルバム制作が行われた。 アルバム制作に時間を割いた1990年には、アルバムはリリースされず、アルバムリリースは翌年まで持ち越される。 前作までのR.E.M.は、毎年必ず一枚のアルバムをリリースしてきたのだが、今回は2年の間、アルバムリリースは行われなかった。
Out Of Time のレコーディングが進められる中、R.E.M.初のライブ映像作品 Tourfilm がリリースされた。 Tourfilm は1989年に行われた Green World Tour の最後の4公演と、その直後に行われた L.E.A.F. Benefitのライブを収録し、組み合わせた映像作品で、単にライブ映像を撮影しただけではなく、8ミリフィルムで撮られたものや、わざとノイズの入った映像、音と映像をずらしたり、早送りの映像を組み合わせたりと、かなり映像作品として実験的な試みがなされていた。 その映像の大半が白黒の映像で、昔の記録映画を見ているような錯覚さえ起こさせる。 そして、その映像はR.E.M.の1980年代最後の姿であり、パワフルで若さ溢れる素晴らしいものであった。 ライブバンドだったR.E.M.は、この後暫くはライブ活動からは遠ざかってしまう。
1991
大ヒットアルバム Out Of Time リリース
1990年の間に完成させた Out Of Time は、これまでに無い特殊な作品に仕上がっていた。
Green でも既にマンドリンを多用したアコースティックソングが散りばめられていたが、 Out Of Time ではそれがメインになった。
また、ホーンやヴァイオリン、ヴィオラなどのストリングスと、キーボードが全面に出て、 Green のアコースティック曲と比べると音に厚みが出た。
そして、R.E.M.史上初となる、ヴォーカルのゲストを起用。
1曲目の Radio Song では、ラップ界の大物KRS-Oneがラップで参加。
ラップとは全く対局に居る音楽を展開してきたR.E.M.の楽曲に、KRS-Oneのラップが見事にマッチしている。
Radio Song のシングルには、更にラップやヒップホップ寄りのアレンジを施したリミックスバージョンが収録された。
もう一人のヴォーカルゲストはThe B-52'sのKate Piersonで、 Shiny Happy People 、 Country Feedback 、 Me In Honey の3曲と、アルバム未収録でシングルB面曲となった Fretless にバックボーカルで参加した。
アルバムでのKate Piersonの存在感は大きく、シングル Shiny Happy People のビデオクリップでは、Michael Stipeとのデュエット姿を見る事ができる。
また、Mike Millsがリードヴォーカルを務める曲がアルバムに2曲登場したのも新しい試みである。
Green は Document の流れを組んだ部分があったが、 Out Of Time は、彼らが完全に新しい時代に入ったことを実感させた。
1990年の間にアルバムを完成させていたR.E.M.は、3月にはヨーロッパでプロモーションを開始する。 これまでのR.E.M.は、プロモーションツアーを組むよりは、本格的なツアーでプロモーションを打ってきたが、ツアーをしない事を決めていたメンバーは、テレビやラジオ出演を目的とした、プロモーションツアーに出掛けた。 3月の間は、オランダやイギリス、ドイツ、イタリアを周り、テレビやラジオのために Losing My Religion や Shiny Happy People 、 Radio Song など、 Out Of Time のシングル候補曲を中心に、アコースティックライブを展開した。 そんな中、 Out Of Time はリリースされ、その直後、イギリスLondonにあるBorderlineでPeter Holsapple、Robyn Hitchcock、Billy BraggとR.E.M.のメンバーで結成されたバンド Bingo Hand Job によるシークレットギグが行われた。 1991年3月14日と15日の2日連続で行われたこのシークレットギグは、全編アコースティックで行われ、Bing Hand Jobのメンバーそれぞれのレパートリーをメンバーを入れ替えながら行われ、R.E.M.史上最も珍しいショーの1つとなった。 このライブの一部は、後に Near Wild Heaven のシングルのB面曲としてリリースされる。
4月にはアメリカ本土に戻り、引き続きプロモーションツアーを続ける。
ここでも、テレビやラジオ番組の出演を続けるのだが、その中にはMTVの人気番組 MTV Unplugged や、NBCの人気番組 Saturday Night Live もあった。
MTV Unplugged の音源の幾つかは何枚もリリースされている番組のコンピレーションアルバムに収録され、リリースされている。
Saturday Night Live では、シングル Losing My Religion と Shiny Happy People を演奏。
Shiny Happy People には、アルバム同様The B-52'sのKate Piersonがゲスト出演した。
そして、4月の終わりには人気ラジオ番組Mountain Stageに再びPeter Holsapple、Robyn Hitchcock、Billy Braggと出演(このライブはBingo Hand Jobではない)。
この模様の一部も番組のコンピレーションアルバムに収録されることとなる。
そして、プロモーションが終わる頃には Out Of Time はビルボードのチャートで、見事1位を獲得。 5月の終わりには早くもプラチナディスクに輝いた。 その後のアルバムは売れ続け、UKチャートでも一位を獲得し、6月にはダブルプラチナ、10月にはトリプルプラチナ、翌年の夏には4×プラチナを獲得するという凄まじさで、グラミー賞では Best Alternative Music Performance に選ばれた。
1stシングル Losing My Religion も大ヒットとなった。
Billboard Hot 100では4位まで上り詰め、9月にはシングルとしては初のゴールドディスクに輝いた。
宗教的な内容のビデオクリップは、CMの映像などを手がけているインド人の映像監督Tarsem Singhが務めた。
宗教的なメッセージでは無く、宗教的なモチーフを使った映像で、羽の生えた黒人が登場したり、天使やカツラを被った年寄りの天使が他の天使に笑われるシーン、アジア風の衣装をまとった女性などが登場し、男が鋼鉄製の天使の羽を造っているシーン等が盛り込まれた、極めて印象的な映像に仕上がっていた。
宗教的な意味合いが強く感じられるため、ヨーロッパの一部の国では放映禁止になったが、このビデオクリップはMTVなどで何度も放送され、この年のMTV VIdeo Music AwardsではBest Group Video of the Yearに輝いた。
夏には William という変名バンドとして、地元Athensでシークレットギグを行ったが、基本的には活動は停止した。 その間、バンドは地元Athensで休養しながら、他のバンドのプロデュースなどの活動を行っていた。 そして、11月にはMTVの10周年記念番組のパフォーマーとしてR.E.M.が選ばれる。 この番組では、George Michael、Aerosmith、Madonna、Michael Jacksonなどの超大物アーティストがそれぞれ特別なパフォーマンスを行うという夢の企画番組で、そんな中にR.E.M.が抜擢された。 R.E.M.は、Atlanta Symphony Orchestraを呼び、R.E.M.史上唯一となるオーケストラをバックに演奏をするということを試みた。 ジョージア州Madisonで行われたそのライブでは Losing My Religion のみが演奏され、番組でその一部始終が放送された。
この作品を期に、1980年代をインディーズバンドとして活動してきたR.E.M.は、遂に超大物アーティストの仲間入りを果たした。
ビデオクリップ集 This Film Is On リリース
Losing My Religion のビデオクリップが大ヒットしたこともあり、R.E.M.は Out Of Time のアルバムからのビデオクリップ集をリリースした。 Country Feedback の歌詞からとった This Film Is On とタイトル付けられたビデオクリップ集は、前半にはシングル曲のビデオクリップ。 中盤にこの頃に行われたアコースティックライブ2曲を挟み、後半にはアルバムからシングル以外の曲のビデオクリップが This Film Is On のために作られ、収録された。 前半の4曲のプロモーションビデオ集の部分は、全曲にR.E.M.のメンバーが登場しているので、とても見やすく楽しめるものになっている。 しかし、後半のシングル以外の4曲は、80年代にR.E.M.が行っていた実験的な映像(アート性の強い)になっている。 特に、 Low のビデオクリップは、肖像画と実写を混ぜて作ったような作品で、映像としては非常に興味深い。 Belong は1989年のライブ映像に風景の写真を重ねたもので、映像だけでは無く音もライブ音源になっている。 これは、前回の映像作品 Tourfilm に一部収録されていたものの、ノーカットバージョンである。
中盤に収録されているアコースティックパフォーマンスは、Love Is All Around と Losing My Religion の2曲。 Love Is All Around はTroggsのカバー曲で、アルバム未収録曲。 音源は1991年4月10日にNewYorkのChelsea Studioで行われたMTVの人気番組 MTV Unplugged からのもの。 ここでは、Mike Millsがリードヴォーカルを担当していて、Michael Stipeはバックコーラスを担当している。 Losing My Religion は1991年3月14日にLondon行われたBBCのテレビ番組 The Late Show からの映像。 Losing My Religion は元々アコースティック曲だが、Bill Berryがパーカッションを叩き、完全にアコースティック化されたシンプルなバージョンになっている。
80年代には殆ど評価されなかったR.E.M.のビデオクリップが、この頃から注目されるようになった。
1992
日本で企画盤 シングルズ・コレクション 発売
日本では、前作 Green からのシングル Stand があまり売れなかったせいか、 Out Of Time からの日本版シングルのリリースを見送っていた。 しかし、 Out Of Time が爆発的にヒットし、シングルもヒットしていたことから、勿体無い結果となっていた。 一方、ドイツとイギリスでは Out Of Time からのシングルのCollectors Edition盤リリースしており、ドイツではそれらのCD4枚を紙箱に纏めた Singles Collection がコレクター向けにリリースされていた。 日本では、この Singles Collection を4枚組CDケースに収め、R.E.M.の歴史や関連用語集、ディスコグラフィー、メンバー紹介などを纏めたブックレット付きの豪華な企画盤 ポップ・ゲーム'92〜12ライブ・トラックス & シングルズ・コレクション をリリースした。 定価が4,000円と高かったものの、日本独自の企画盤が作られたのは後にも先にもこの盤だけである。
名盤 Automatic For The People
1991年にツアーを行わなかったR.E.M.は、その間、新作の構想を練っていた。 当初、新作はロックなアルバムになるはずだったのだが、レコーディングが始まると、前作同様アコースティックアルバムになることになった。 1992年に入り、1月に地元Athensの40 Watt Clubで一度アコースティックライブを行ったものの、また本格的なライブ活動は行わず、すぐにレコーディングを開始した。 まず、2月の後半にいつものようにAthensのJohn Keane's Studioで簡単なデモセッションを行い、その後New OrleansのKingsway Studioで数曲をレコーディング。 その後、前作同様にWood StockのBearsville Studiosで本格的なレコーディングが開始された。 3月の終わりから4月一杯までBearsville Studiosでレコーディングとミキシングを終え、その後MiamiのCriteria Studiosに移り、追加で数曲レコーディングを行う。 その後、6月にはAtlantaのBosstown Recording Studiosにて、Atlanta Symphonyを迎え、元Led ZeppelinのベーシストJohn Paul Jonesによるアレンジで、オーケストラのミックスが行われた。 最後にSeattleのBad Animals Studiosに移り、6月後半から7月の間、ミックスを行い、作品は完成する。 その後も、John Keane's Studioに戻り、8月〜9月の間にシングルB面用の曲のレコーディングを行った。 そして、10月には彼らの8作目となるアルバム Automatic For The People がリリースされた。
前作 Out Of Time と同じく、かなり長い時間と手間をかけてレコーディングが行われた。 そして、今回もツアーを行わないことを発表。 しかも、前作では行われたプロモーションツアーすら行われなかった。 アルバムリリース後には、地元AthensでGreenpeaceのベネフィットショーが行われただけで、それ以外のプロモーションは、ラジオのインタビューとスウェーデンのテレビ番組にPeter BuckとMike Millsが出演したのみで、この年の活動はレコーディングのみで終了した。
アルバムはスローテンポで暗い Drive から始まり、先行シングルもその Drive であった。 アルバムは「死」がテーマで、暗く地味な曲が全体を占めていた。 しかし、その中にある美しさがあり、聞けば聞く程心に響くサウンドが指示され、プロモーション活動すら殆ど行わなかったにも関わらずBillboardチャートでは2位、UKチャートでは1位を記録。 セールスも伸び、12月にはダブルプラチナディスクを獲得し、最終的には1995年に4×プラチナを獲得した。
Automatic For The People からは、大量にシングルカットが行われた。 Drive を筆頭に、アップテンポなシングル向けの Man On The Moon 、 The Sidewinder Sleeps Tonite 、R.E.M.史上最も穏やかなバラード Everybody Hurts 、アルバムの最後を飾るバラード Nightswimming 、 Find The River がシングルカットされた。 シングルのB面曲も、ライブ音源やリミックスバージョン等ではなく、スタジオでレコーディングされたものが多く収録され、このアルバムからのB面曲だけで8曲のアルバム未収録曲がリリースされた。
1993
一時活動停止
1992年をレコーディングに費やし、ツアーにも出なかったR.E.M.は、1993年にはR.E.M.としての活動を殆ど行わない活動休止状態になった。 これはR.E.M.史上初めてのことで、ある意味セールスで大成功した余裕でもあった。
しかし、メンバーは全く活動をしていなかった訳ではなく、1月20日には、MTVのイベントにMichael StipeとMike Millsと、U2のAdam ClaytonとLarry Mullen Jr.が組んだ即席バンド Automatic Baby により、U2の One をアコースティックバージョンで演奏。 10,000 ManiacsのNatalie Marchantも参加し、10,000 Maniacsの Candy Everyone Wants 、1967年の映画 To Sir, With Love のテーマ曲としてLuluが歌っていた To Sir With Love のカバーを披露した。 これらの音源は、10,000 ManiacsのシングルB面や、幾つかのコンピレーションアルバムなどでリリースされた。
その他にも、Mike MillsはRobyn Hitchcockと共にライブを行ったり、彼の兄弟であるMitch Millsのバンド Three Walls Downのプローデュースを行った。 また、The Smashing Pumpkinsのアルバム Siamese Dream に収録されている Soma ではピアノを担当した。 Peter Buckは、この年にYoung Fresh FellowsのScott McCaugheyと共にSeattleでThe Minus 5を結成。 The Minus 5は、この後Peter BuckのR.E.M.の次に重要なバンドとして活動を続けることになる。 Scott McCaugheyとPeter Buckのコンビは、The Minus 5以外でも様々な活動を開始し、Scottは翌年からはR.E.M.のツアーのバックを務めることになる。
この年のR.E.M.としての唯一のライブは、MTV Music Awardsでのパフォーマンス。 Automatic For The People が成功したR.E.M.は、パフォーマーとして呼ばれ、 Everybody Hurts と Drive の2曲を披露した。
1994
ロックアルバム Monster リリース
1993年の後半から少しづつ新曲用の作曲を初め、年明けから3月にかけ、AtlantaのCrossover Soundstageにてデモセッションを開始した。
今回のアルバムには、当時人気絶頂だったNirvanaのKurt Cobainがゲスト参加することになっていた。
しかし、そんな矢先にKurt Cobainは自分の頭を散弾銃で打ち抜くという衝撃的な自殺をし、音楽界に衝撃を与えた。
Kurt Cobainは、遺書を書きながらR.E.M.の Automatic For The People を聴いていたという。
R.E.M.は、競演ができなくなった代わりに、Kurtに捧げる曲 Let Me In を作曲した。
翌年のツアーでは、Kurtが使っていたギターをMike Millsが掻き鳴らし、Peter Buckはオルガンでその悲しみを表現した。
そんな中、4月〜5月にかけてはMiamiのCriteria Studioでレコーディングを続け、7月にはLos AngelesのOceanway Studiosでアルバムを完成させている。 そして、9月にはアルバム Monster はリリースされた。
作曲の段階では、アコースティックの曲も幾つも作られたと言うが、アリーナでのコンサートに耐えうるロックナンバーをあえて選び、収録していた。 結果、Monster はその名の通りのロックアルバムとして完成し、先行シングル What's The Frequency, Kenneth? のイントロ1秒間だけ聴くだけで前作までのアコースティックスタイルと別物であるということを痛感させた。 そして、Michael Stipeはこの時に合わせてスキンヘッドになり、メンバーの服装もこれまでのパッとしない地味な格好から派手でかっこいいものに変貌した。
アルバム全12曲のうち、 Strange Currencies と Tongue 以外の10曲が全て硬く重くノイジーなギターサウンドのロックナンバーで構成されている。 Lifes Rich Pageant や Document の頃もダイナミックなドラムとギターが目立つロックアルバムを作っていたが、今回のヘビーさは、ハードロックを思わせる程であった。 前作 Automatic For The People ではJohn Paul Jonesが、前々作 Out Of Time にはPeter HolsappleやKate Pierson、KRS-One等が参加していたが、今回のアルバムには Crush With Eyeliner にはSonic YouthのThurston Mooreがギターで参加し、Michael Stipeの妹Lynda Stipeと故River Phoenixの妹Rain Phoenixが Bang And Blame にコーラスで参加している。
Monster は瞬く間にBillboardチャート、UKチャート共に1位を記録。 シングルも What's The Frequency, Kenneth? と Bang And Blame が1位を記録した。 アルバムは売れ続け、翌年には4×プラチナディスクを獲得した。
翌年をワールドツアーに決めていたR.E.M.は、この年にはNBCの人気番組 Saturday Night Live に再び出演して演奏したものの、それ以外のライブは一切行わず、翌年のツアーに備えた。 しかしMichael Stipeは、友人のRiver PhoenixとKurt Cobainが相次いで亡くなった(Riverは1993年にドラッグにより死亡)ことで精神的にかなりダメージを受けており、インタビューなどでは明らかに機嫌が悪く、コンディションの悪さが目立って来ていた。
The Minus 5 デビュー
1993年から活動を開始していたPeter BuckのサイドプロジェクトThe Minus 5のデビュー作が、Hello Recording Clubからリリースされた。 Hello EP とタイトル付けされた4曲入りのミニアルバムで、1993年に既にレコーディングを終えていたもの。 店頭では販売せず、Hello Recording Clubからの通販でのみ販売された。 Hindu Love Gods以来の本格的なサイドプロジェクトのThe Minus 5だが、Hindu Love Godsとは違い本格的なバンド活動を始め、翌年には1stアルバムをリリース。 その後もPeterのR.E.M.に次ぐバンドとして、積極的に活動を続けることになる。
I.R.S.時代のシングル集 Singles Collected
I.R.S.は、Monster の人気に合わせ、R.E.M.のI.R.S.時代の7inchシングルをA面B面順番に収録したコンピレーションアルバム、Singles Collected をリリース。 B面に収録された曲が聴けるということだが、B面曲をまとめた Dead Letter Office が既にリリースされている他、 Dead Letter Office 以降のシングルB面曲も、1992年にEMIから再リリースされた I.R.S. Years Vintage シリーズのボーナストラックで既にリリースされていたので、コレクター向けということにはならない半端なものになってしまっていた。 実際アルバムとして聴くと、シングル曲とライブ音源やインストゥルメンタルが順番に再生されるので、聴き辛い内容になってしまっていた。
1995
苦難の Monster Tour
80年代をライブバンドとして過ごし、過密なライブスケジュールをこなして来たR.E.M.だが、 Green World Tour の過酷さから、ツアーを避けるようになっていた。 そのため、1989年の Green World Tour 以来、一切ツアーを行ってこなかったバンドは、その間に Out Of Time 、 Automatic For The People 、 Monster と、3枚のヒットを飛ばし、世界中のファンを5年間もの間待たせた状態にあった。 しかし、Monster をライブのためにロックアルバムに仕上げたこともあり、大規模なツアーを計画。 この年の1月から11月の終わりにかけての超大規模ツアーが組まれた。
ツアーは、まずオーストラリアから開始した。 ツアー開始前に、Peter Buckはオーストラリアで結婚式を挙げ、束の間のバカンスを楽しんだ。 ツアーが開始されると、早速オーストラリアだけで10公演をこなし、ニュージーランドで1公演。 休む間もなく来日2公演を行った後に、台湾、香港、シンガポールを廻った。 来日公演は日本武道館での2公演で、それぞれ全く違うセットで演奏された。 当時は物凄い人気だったR.E.M.の来日は、各音楽雑誌で特集されたが、その評価は「良い」とするものと、「悪い」とするものに分かれていた。 実際、世界的には「凄い人気」ではあったものの、日本での人気は比較的低く、観客席にも空席が目立っていた。 このせいもあってか、次回の来日は10年後となる。
オセアニア〜アジアを廻った後も、休むことなくヨーロッパに移動。 そこでも、スペイン、フランス、イタリア、スイスの順でハードなスケジュールでツアーを巡っていた。 しかし、3月1日のスイス公演。 ライブの中盤、 Tongue の演奏中、Bill Berryは倒れてしまった。 Billは激しい頭痛を訴え、そのまま病院に運ばれて入院し、その後の公演を暫くキャンセルすることになってしまった。 Billは一時、生死の境をさ迷う程の状態に陥ったが、5月には復帰し、再びツアーを再開。 再開されたツアーは全米ツアーからで、再開早々カリフォルニア州Mountain ViewのShoreline Amphitheaterにて、3連続公演をこなすなど、再びハードなスケジュールのツアーが開始された。 無事再開を果たしたが、ライブバンドとして長く活動をしてきたR.E.M.にとって、ツアーをキャンセルするのは初めての出来事であった。
全米ツアーは、6月のNewYorkのMadison Square Gardenの2連続公演で終了し、またしても休むことなくヨーロッパへ移動。 ドイツやベルギー、フランスなどを巡っていたが、今度はMike Millsが倒れ、入院。 数公演が再びキャンセルになった。
その後もU.K.やドイツ、ノルウェー、スウェーデン、イタリアを巡り、そのままイスラエル、チェコ共和国へと足を伸ばす。 その頃には既に8月になっていた。 やっと、20日間程の休暇が取れることになったが、その間にはMichael Stipeがヘルニアの手術を行っている。
9月の頭には、MTV Video Music Awardsにパフォーマーとして呼ばれ、新曲 The Wake-Up Bomb を披露。 それを皮切りに、Miamiから再び全米ツアーを開始。 11月18日、19日、21日のAtlantaのThe Omni3公演を最後に、ツアーは幕を閉じた。
Monster Tour は大成功ではあったものの、メンバーが倒れる等のトラブルが続き、かなり過酷なものになった。 Michael Stipeは、精神的なコンディションの悪さと、ヘルニアによる苦痛のせいか明らかに不調と思われる日が多く、歌詞を忘れたり、マイクケーブルが絡まったり、曲の途中で演奏を止めてしまったりと、失敗も多かったようだ。 それでも、毎回違うセットで演奏をし、積極的に新曲を披露し、様々なカバー曲演奏し、ファンを喜ばせた。 そして、そんな中、サウンドチェックやリハーサルの時間を使い、次回作 New Adventures In Hi-Fi を制作していた。
Monster Tour で注目すべき点として、有名アーティストや後に有名になるアーティストが前座で参加していることが挙げられる。 Michael Stipe繋がりで、Grant Lee BuffaloやMagnapopなど、さほど有名ではないバンドも前座に加わっていたが、当時人気を人気を博していたThe CranberriesやBlur、この後超大物バンドに成長するRadioheadやOasis、80年代から活動を続け、支持されていたSonic YouthやLuscious Jacksonなど、蒼々たるメンツがR.E.M.の前座に加わっていた。 7月の終わりにイギリスのMilton KeynesにあるNational Bowlで行われた二日間のライブでは、Magnapop、Belly、Blur、Sleeper、The Cranberries、Radioheadを前座に迎えた大イベントとなった。 ここでは丁度10年前、1985年6月に、U2ライブイベント The Longest Day の前座としてThe Faith Brothers、Spear Of Destiny、Billy Bragg、The Ramones等と共に前座として参加。 R.E.M.はその中でも昼間にちょこっと出番がある程度だった。 それが、10年後には、数々の新人アーティストを前座に迎え、大イベントをこなすまでに至っていた。 波乱続きの Monster Tour だったが、R.E.M.が超大物バンドに成長したことを実感させる、まさにモンスターなツアーであった。
1996
Monster Tour の産物 New Adventures In Hi-Fi
Monster Tour では新曲として Revolution 、 Departure 、 Binky The Doormat 、 The Wake-Up Bomb 、 Undertow 、 Zither が既に演奏されていた。 初期のR.E.M.も同じようにツアーでまず新曲を演奏し、次のアルバムに収録する形式を取って来ていたが、今回はツアー中にレコーディングまで行っていた。
レコーディングは、ツアー中各地でのサウンドチェックやリハーサル、ライブパフォーマンス、移動中のジャムセッション、ホテルのバスルームなど至る所で行われた。 ツアー中にレコーディングをしていたことから、音楽雑誌などではライブアルバムになるという噂も上がっていた。 しかし、完成したアルバムはライブアルバム等ではなく、スタジオアルバムであった。
Monster Tour 中、何度かサプライズゲストとしてR.E.M.全員(特にMichael StipeとPeter Buck)の憧れの人物であるPatti Smithが参加し、 Let Me In や Dancing Barefoot を共演したことがあった。 その際、思い切ってPatti Smithに次回作への参加を申し出たところ、快諾してもらうことができた。 ツアー中にレコーディングされなかった New Test Leper 、 E-bow The Letter 、の2曲は、Seattleのスタジオでレコーディングし、 How The West Was Won And Where It Got Us 、 Be Mine はツアー中にレコーディングしていたものの、質が悪かったのでスタジオで取り直している。 他にも、即興で作った新曲が1曲あったのだが、ボツとなった。 今回は新たにレコーディングし直したのはこの4曲だけで、その他の曲はミックスやオーバーダブ作業が主なスタジオでの仕事となったようだ。 最後に、AthensのJohn Keanes Studioで最終的なミックスを行い、作品は完成した。 ロック全開のツアー中に作られたアルバムなので、前作に引き続きラウドなロックアルバムに仕上がるのかと思いきや、ロック、アコースティックが入り混ざったバリエーションに富んだ作品に仕上がっていた。
スローテンポの How The West Was Won And Where It Got Us から始まり、2曲目では The Wake-Up Bomb の激しさに目を覚まされる。 すぐに New Test Leper のような美しいアコースティックナンバーで引き戻されたかと思うと、 Undertow で、再び重くノイジーな激しい音に戻る。 中盤にはロックな曲が続き、シャワールームで録音された美しいインストゥルメンタル Zither で一段落した後、グルーヴィーな So Fast, So Numb では再びライブのような躍動感が戻ってくる。 最後は20世紀へのお別れの歌 Electrolite でアドベンチャーは締めくくられた。
Monster Tour 中、MTV Video Music Awardsにパフォーマーとして呼ばれたR.E.M.は、 The Wake-Up Bomb を披露していた。 そのこともあり、先行シングルはキャッチーなロックナンバーの The Wake-Up Bomb になると思われ、一部では先行シングルのプロモーションが始まっていたが、直前でPatti Smithが参加した美しいが地味でもある E-Bow The Letter が先行シングルに選ばれた。 続くシングルも、Bittersweet Me に Electrolite 、 How The West Was Won And Where It Got Us と、心に響く良い曲ではあるものの、一般受けしそうなロックナンバーはシングルカットされなかった。 更に、ツアー中ずっと演奏されていたアップテンポでキャッチーなロック Revolution はアルバムからは外された。 このこともあってか、ファンには高い評価を受けている New Adventures In Hi-Fi は、チャートではBillboardで2位、UKチャートで1位を獲得したものの、セールス自体は年内にプラチナディスクを獲得するものの、それ止まりとなった。 プラチナディスクでも、十分売れているということになるのだが、Out Of Time 以降、ずっと4×プラチナディスクを獲得していたことを考えると、売れ行きは芳しく無かったと言える。 「アルバムのセールスはレコード会社の仕事。バンドは良い作品を作るだけ」とPeter Buckは語っているように、本人はあまりセールスの伸び悩みを気にしていないものの、この作品の後、アルバムのセールスは落ちつづけることになる。
Monster Tourの記録、Road Movie
Monster Tour の最後の3公演を撮影したものを編集し、映像作品に仕上げた Road Movie がリリースされた。 R.E.M.のライブ映像作品は Tourfilm 以降2作目。 前作と曲がダブらないように選曲されていて、 The One I Love と It's The End Of The World As We Know It (And I Feel Fine) 以外はダブっていない。 Tourfilm の映像から6年後の映像となる Road Movie は、派手で激しく、堂々としたパフォーマンスを見せている。 前作同様、単なるライブ映像では無く、ラフに撮影された映像やノイズを織り交ぜた1つの映像作品として仕上がっている。 そして、この映像はオリジナルメンバーでの最後のステージを映したものとなった。
1997
Bill Berry 脱退
New Adventures In Hi-Fi はツアー中に作られたものだったため、アルバムリリース後にはツアーは組まれなかった。 そのため、1997年は時間が空いたため、メンバーはそれぞれバラバラに活動を始める。 Peter Buckは、再びMinus 5の活動を始めたが、その他にもThe Minus 5のメインメンバーであるScott MaCaugheyと共に、更に他のプロジェクトを始める。 1つは、オリエンタルジャズのインストゥルメンタルバンドTuataraの結成である。 Tuataraはこの後も、The Minus 5に次ぐPeterとScottのサイドプロジェクトとして、作品を作り続けることになる。 そして、San Franciscoのバンド、American Music Clubの中心メンバーであるMark Eitzelのソロ作品 West に全面参加し、そのことが切っ掛けで、Magnificent 7 vs The United Statesという即席グループを立ち上げ、Scott MaCaugheyらも巻き込んでツアーを展開していた。
一方Michael StipeとMike Millsは、6月にTibetan Freedom Concertに参加。 ドラムマシンとキーボードというシンプルなスタイルでライブを行った。 このパフォーマンスの中から、Electrolite がTibetal Freedom Concertの記録盤としてリリースされたコンピレーションアルバム Tibetan Freedom Concert に収録されている。
秋には、新作のレコーディングを開始しようと動き始めた。 しかしそんな中、Bill Berryがバンドを脱退したいという意思をメンバーに伝える。 脱退の一番の原因は、1995年の Monster Tour で、演奏中に倒れ、生死の狭間をさ迷ったという経験をしたことにあり、その後人生について悩んだ結果、脱退を決意したということであった。 メンバーは必死に説得を試みたが、Billの意思は堅く、10月30日に正式に脱退を発表した。 バンドは結成以来最大の危機を迎え、解散の話も持ち上がった。
1998
苦境を乗り越え作られたアルバム Up
Bill Berry脱退のショックから、バンドは活動を停止していた。 しかし1998年になると、Michael Stipeは「4本足の犬が3本足になっても、違う走り方を覚えるだけ」と前向きに語り、1月にはSan FranciscoのToast Studoでレコーディングを開始した。 今回のレコーディングではメンバー間のコミュニケーションがうまく取れない上に、新たなドラマーを入れなかったため、Beckのバックバンドで活躍していたドラマーのJoey Waronkerと、Screaming TreesのBarrett Martin(The Minus 5のドラムでも参加したいた)がサポートメンバーとして一部参加していた。 しかし、あくまで新たなドラマーを入れた訳ではないので、基本的にはドラムマシーン中心の曲作りになり、今までとは全く違う行程でのアルバム制作となった。 そして、これまで10年間一緒にやってきたプロデューサーScott Littに代わり、 Monster と New Adventures In Hi-Fi ではエンジニアを務めていた Pat McCarthyがプロデュースを務めることになり、実質スタジオメンバーはがらりと替わってしまっていた。 レコーディングは精神的にも、技術的にも困難であったが、Thom York、Patti Smith、Grant-Lee Phillips、Natalie Marchant、Kristin Harsh、Eddie Vedder、Bono Vox、Madonnaなど、多くの彼らと繋がりのあるミュージシャンの助言や励ましの言葉を受け、なんとかレコーディングを押し進めた。 そして、スタジオの壁には「Unafraid(恐れない)」と書かれた封筒が貼られていた。
数々の雑誌インタビューで、「苦労したがなんとかアルバムは完成した」と語られたアルバム Up は、美しいバラード Daysleeper を先行シングルにリリースされた。 レコーディングの状況からすると当然なのだが、アルバムは暗く地味なものとなった。 ジャケットアートワークもあっさりとしたデザインで、寂しい印象を受けるものであり、華々しい復活という印象はなかった。 曲数もシークレットトラックの I'm Not Over You を入れると15曲と多く、迷いを感じさせる。 1曲目の Airportman からドラムマシンにシンセサイザーの音を重ね、ヴォーカルも殆ど入っていない暗い曲から始まっている。 アルバムの中では最もロックな2曲目 Lotus も、明るくノリの良いロックナンバーではなく、Michael Stipeの狂気じみたヴォーカルが印象的な奇妙なナンバーである。 全体的に地味で暗いのだが、 Why Not Smile や At My Most Beautiful 、 Falls To Climb はこれまでにない美しいナンバーで、アルバムは優しく美しい側面も持っていた。
4月にはレコーディングが終了したが、アルバムリリースは半年後の10月になった。 その間も特にツアーに出ることはなく、殆ど休止状態であったが、6月にNewYorkで行われたTibetan Freedom Concertに参加し、Billが抜けて初めてのライブを行った。 ライブでは新曲 Airportman 、 Sad Professor 、 Suspicion の3曲を披露し、 E-Bow The Letter ではThom Yorkがステージに参加し、Patti Smithのパートを担当した。 そして、10月にはカリフォルニア州Mountain Viewで行われたBridge School Benefit Concertに参加し、ここではNeil Youngとの共演を果たした。 Bridge School Benefit Concertが終わると、 Up リリースが迫って来たため、プロモーションライブを多数展開する。 今回のアルバムのツアーは行わないことを宣言していたR.E.M.だが、その代わりにテレビやラジオ用のパフォーマンスを多数計画し、積極的にプロモーションライブを行った。 ライブではアルバムでも一部参加していたJoey Waronkerがサポートメンバーとしてドラムを担当した。
プロモーションライブは数曲〜1時間程のものが中心で、フルセットではなかったものの、かなりの数行われた。 MTV Uplink から始まり、 BBC Radio 1 、 Late Show With David Letterman 、 VH1 Storytellers 、 John Peel Sessions BBC 、 Later With Jools Holland 、 Top Of The Pops 、 Rockpalast 、 Night Express TV Show 、 MTV European Music Video Awards 、 Modern Rock Live 、 Late Night With Conan O'brien 、 Rosie O'Donnell Show 、 Rockline 、 The Tonight Show With Jay Leno など、メジャーな音楽番組に次々と登場し、健在振りをアピールした。 しかし、かつてのような勢いは無く、メンバー同士のやり取りもあまり見られなかった。 幾つかのパフォーマンスではBill Berryに捧げる曲として Perfect Circle が演奏された。
1999
突然のヨーロッパ/北米ツアー
1999年に入っても1月中はプロモーションツアーの続きを行っていた。 それが終わるとツアーはやらない予定であったが、突然3月からのツアーを発表し、ヨーロッパからのサマーツアー Up Tour を開始した。 ヨーロッパツアーでは、イギリス最大のロックフェスティバル Glastonbury Festivalに初出演を果たし、健在ぶりをアピールした。
このツアーでは、アンコールの後Michael Stipeがアコースティックギターを弾き、 Hope や Fall To Climb 、 Suspicious Minds などを弾き語りする演出がなされていた。 また、 New Adventures In Hi-Fi の後はツアーを行っていなかったので、 New Adventures In Hi-Fi からの曲も多く演奏され、全体的に新しめの曲を中心に演奏している。 プロモーションを除くと、通常のツアーでJoey Waronkerがドラムを担当したのは、この Up Tour なので、彼の滑らかなドラムを聴けたという意味では貴重なツアーとなった。
これまで、ツアーの最終日は地元Athensに近い都市であるAtlantaで行われるのが定番であったが、このツアーではマサチューセッツ州MansfieldというR.E.M.とは何の関係もない街で終わっている。 始まりも突然だったが、終わりも突然のツアーであった。 このツアーは、解散を逃れるために強行したものだと言われている。
Man On The Moon のタイトルの映画
R.E.M.が1992年にリリースしたヒット曲からタイトルを取ったMilos Forman監督の映画 Man On The Moon が1999年の終わりに公開された。 映画はJim Carrey主演で、Courtney LoveやDanny DeVitoが出演した、コメディアンAndy Kaufmanの生涯を描いたもので、R.E.M.の曲 Man On The Moon もAndy Kaufmanに捧げるものであった。 映画のサウンドトラックはR.E.M.が大半を手掛け、リリースされたサウンドトラック Music From The Motion Picture Man On The Moon には、映画のために書いた新曲 The Great Beyond が収録された他、 Man On The Moon も収録され、R.E.M.が手掛けた多くのスコアや、Andy KaufmanとそのキャラクターであるTony Clifton役のJim Carreyとデュエットする This Friendly World が収録され、まるでR.E.M.の作品のような形でリリースされた。 同時にR.E.M.は、1991年以来2度目の出演となる、NBCの人気番組 Saturday Night Live に出演し、 The Great Beyond と Man On The Moon を演奏。 Michael Stipeは番組内のコントにもクリスマス・フェアリー役として参加した。 また、 Late Show With David Letterman にも出演し、 The Great Beyond を披露した。 他にも映画のサウンドトラックのプロモーションを兼ねて幾つかのテレビ番組に出演し、インタビューに答え、90年代を終えた。 1999年で解散するという冗談を言っていたR.E.M.だったが、解散することはなく、そのまま2000年代に突入する。